星空に浮かぶ島―西表で  

 

T.目線

私は西表を去るのがつらかった。それは、西表に、自分の居場所を見つけ、安らぎを得たからではない。一人のおじいの笑顔が忘れられないからだ。南風原さん、79歳の方。痴呆の方もそうでない方も一緒に暮らしている老人施設で、会った。到底理解することのできない、たくさんの苦労をしてきて、今に至り、足が利かなくなり、車椅子の生活を余儀無くされた。しかし、非常に頭はクリアで、はきはきと話し、甘えを感じさせないりりしさがあった。おじいは最初、あまりしゃべらず、頑固そうに見えた。おじいの育った波照間島のことや、昔のこと、西表のこと、差し障りの無い話題を選び、短い会話をしていた。私は本当の交流もできない、上滑りのいつものパターンになるのかと、一瞬、緊張をわすれ老人施設特有の臭いと鳴りっぱなしのテレビの音に軽い疲れを感じた時、おじいの隣にしゃがみこみ、おじいを見上げながら、自分のことを話し始めた。医学を学んでいるけど、まだまだ先は長いこと、どんな患者さんでも診ることのできる医者になりたいこと・・・。おじいもそれに合わせ、医者はどんな科の内容でも8割方は分かっていた方がいい、専門のことしか分からないのはよくない、高良先生みたいな医者になりなさい、と話し始めた。「いつでも、医学を学べることができるのを親に感謝しないとね」「はい、本当に感謝してます」そしたら、おじいは、にっこりして、自分の部屋に案内してくれた。おじいの部屋は壁のむこうに色々な世界が広がっていた。一面に海の絵、花の絵、富士山の絵、松竹梅の絵・・・。みんなおじいが描いたものだった。

 お別れの時、何人もの無表情なお年寄りの顔の間に、おじいのにっこり笑っている顔があった。胸がほんわりした。そして、おじいの周りのいくつもの無表情な顔の向こうにたくさんのやさしい笑顔がみえた。

病気に隠されてしまった見えない笑顔を見ながら、同じ目線で、心を開いた医療を提供したい。

 私に幸せあふれる希望に満ちた気持ちをくれたおじいのそばにもっといたかった。

 でもおじいの笑顔はどのような場所ででも見つけることはできるのだ。私次第で。

 

U.質

離島では、診療所はそこにあるだけで、赤字となってしまう。仕方の無いことだ。だから、医療の質まで考えていられないという。そうだろうか。医療の質って何だろう。先生は、とても腕のよい先生だった。陥入爪の手術を見た。当然手術室はない。処置室で、先生一人で、器具から消毒、包帯、まで用意し、たおやかな時間の流れの中で行われた手術だった。足の親指に食い込んでしまった部分の爪とその爪の付け根にある、爪を作る組織を切り取り、縫い合わせる。丁寧に巻かれた包帯がテープで留められた時、オーブンの中に、あとは焼くだけ、のケーキをいれたような充足感があった。

海で水をたくさん飲んでしまった、という患者さんは、血中の酸素濃度が低くなってしまい、顔色が悪い上に寒気がひどく、息苦しそうで、レントゲンをとって見たら、肺の入り口に海水が少し入ってしまっていた。肺炎を起こすほど重症ではなさそうだが、その日は一晩診療所に泊まってもらい、先生が具合を診ていた。何しろこの島には救急車はなく、大きな病院はここから船で50分。よほどのことがないと、ヘリでの搬送はしない、というのだ。診療所で万が一に備え、患者さんのそばに医者が待機していなくてはいけないのだ。患者さんと共有する一晩。その時間の中に患者さんが少しでも、不安を忘れ安堵感を見出すことができたら、それは医療になるのではないだろうか。

大きな機械も立派な手術室もないけど、その分医者の腕と心が患者さんに直に伝わる。

診療所の中では、質のいい医療って、質のいい医者とイコールになるんじゃないかな…。

(もちろん、看護婦さんや事務の方の存在も重要だ。だが、私の実習中は看護婦さんの姿を処置室であまり見かけなかったので、看護婦さんがどのような医療の提供をしているのか定かでないままになってしまった。)

 

V.孤独

 

西表の空気は甘かった。花や木々になっている果物が強い日差しにとろけてしまい、気体となって空気中を漂っているようだった。そのせいか、固体の輪郭がゆるみ、半ば空気に溶け込んでいるような錯覚があった。だから、孤独を感じなかった。

 しかし診療所は孤独だった。

 私たち医学生は、いつも同じ教室で同じ実験室で同じメンバーで、時間を過ごす。自然と強い仲間意識が生じる。皆で話し合いながら考え答えを模索していく。誰かが自分の気付かない所を補ってくれる。

 病院でもそうなのだろう。患者さんの治療を、何人もの医療スタッフと連携しながら進めていく。私が出会った地域の医者もそうだった。地域の保健婦や訪問看護婦、ソーシャルワーカー、そして近くの大病院と連携をとりながら、医療を行なっていた。

 離島の医療は、24時間一人の肩にのしかかっていた。もしもの時、最後の手段で頼れる大病院は海の向こう。どんな患者さんがいつ来るかわからない、患者さんに医療を提供できるのは自分一人。そんな緊張感が24時間続く。

 そういう環境において、島におけるパソコン、インターネットの普及は大きな意味のあるものだった。仲間とネットを通じて学びあい、より良い医療を模索していくことを可能にし、気持ちの支えになるものが手元にある状態を作っていた。

 島の空気とともにゆらゆら道を歩きながら、それでも診療所で感じる孤独感は何だろうと考えた。

 非日常感。そんな言葉が頭をよぎる。

 私が訪問者だからか。診療所に憩いの場を重ねて期待していたせいか。

 診療所の中で淡々と時間が流れていく。